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​チベット・最後の語り部たち

最後の語り部たち

        『最後の語り部たち』紹介

ケサル大王伝は世界でも稀な未だに語り部が存在している英雄叙事詩です。

アムド(ゴロク)、カムの男たちは誰でもがケサルを口ずさみます。自称語り部は何人

もいます。しかし、文盲の牧童は夢の中に現われたケサルに語れと命じられる。目が覚めると物語を語り出し、語り部になっていたという神秘的な「神授型」語り部はチベット全土で現在わずか20名ほどしかいません。

青海省の奥深くそんな語り部たちがいると聞き向いました
。西寧から寝台バスで26時間、標高4300M、長江の源流通天河が流れるチベット・カム人(カンバ)の町冶多(ジトゥ)で数人の語り部たちがいました。大草原の中、彼らのはまるでケサルに取り憑かれたかのように溢れ出る圧倒的な語りを個性的に語ってくれました。


文盲の語り部たちはチベットの方言カム語を使い、また古語もあり、カムの若い人でももう理解ができないといいます。最初の語り部取材から4年かけて通い、ようやく日本語の翻訳にすることができました。


次の舞台は青海省ジェクンド(玉樹)、2010年大震災を被った町です。富士山頂に匹敵する標高の町は震災後、驚くべき変貌を遂げていました。町の中心広場のチベット最大のケサル像の地下にケサル博物館がオープン、第一回ケサル大会が開催され、ケサルを観光客誘致のために売り込んでいます。地元党政府は語り部の個人芸よりも集団で華のある劇や舞踏、さらに映画やアニメ化に関心を注ぎ、語り部たちが疎外されていく現実を捉えました。

隔絶されていた美しいチベット高原も中国政府の大規模開発によって急激に変貌が進み牧畜民は半ば強制的に町へ下ろされ(生態移民)、ケサル文化の基盤が解体されています。環境汚染から清明な空気は損なわれ、「もうケサルは(夢の中に)降りて来ない、神授型語り部はもう誕生しない」と言われます。

取材中に、辺境の地に通称ケサル寺(達納寺)があり、遺物が残され、ケサルと将軍たちを奉った仏塔がある事を知らされました。ケサルが実在した証しだといいます。
冬の取材で標高4400mの、険しい岩山に囲まれた寺に向かい、千年前、ケサルの国から運ばれ、文化大革命から逃れたというケサルゆかりの仏典、武具などと対面、さらに高い岩壁の祠の中に仏塔群を遠く見る事ができました。果たしてケサルは実在したのでしょうか。朝陽の当たる仏塔のある岩山を見ていたら千年前、修行中のケサルもこの光景を見て拝んでいたのだという感覚が湧き出てきました。


夏には寺で第一回ケサル研究会が開催され、語り部や研究者が辺鄙な寺の麓に一堂に会しました。党や地方政府の意向とは関係のない純粋にケサルを愛する者たちの集会でした。彼らはケサルの実在を信じる人々でもありました。語り部たちは仲間の前で声を張り上げ謡ったのです。

イーリアスやマハーバーラタが本になり、語り部が消えたように今、ケサル大王伝も50巻の「定本」が完成しました。チベット・ケサルの語り部も彼らが最後になるのでしょうか。

       『最後の語り部たち』感想
 
◎かっこいいね。美しいね。こんなドキュメンタリー初めて。
◎見たことの無い映像。最近最も楽しめた興味深い作品。
◎仏教文化と二層になったチベットを観せて頂き、今朝もまだ興奮しています。
◎映像もとてもすてきだった。叙事詩、語り部たちってすごいと思った。
◎カムの大草原で憑かれて語り続ける語り部たちは圧巻!
◎とても興味深い内容でした。語り部たちは猛スピードで、覚えられるはずも

 ない分量の話をすらすらと語っている。
◎「語り部」が実際に語れるようになるのを何人も見て驚くばかりです。
◎近代化の波に巻き込まれてケサルも変貌を遂げてしまう様子がショックだ。
◎語り部たちの現状から中国政策によるチベットの言語、文化の危機が伝わった。
◎色々な思いが浮かび、まだ整理できませんが、とても貴重で感動しました。
◎世界中、同様の事が進行している中でとても貴重な記録を残してくれました。
◎この映画は人間についてとても重要な内容を含んでいる。
◎友人に連れられて来た。チベットの知識はなかったけれどとても面白かった。
◎素晴らしい映像でした。草原に暮らす人々が心安らかに平らかに暮らせること

 を願わずにおられません。
◎4000メートルの高地をいろいろな困難にもかかわらず、何度も足を運ばれた
 ご苦労による映像は相当な執念がなければ成しえなかったことでしょう。

​ケサル大王制作委員会

見けさるさる

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